| 序・目次へ 三章、概観・君主制擁護論と否定論 五章、君主の内包の意味するもの |
四章、君主を内包する自我ー君主制の社会的評価を越えて問題は、人間はなぜ非合理的な行動をとってしまうのか、という点に要約されるであろう。君主制の非必然性、或は不要がこれほど明白に立証されているにも拘らず、人々はなぜ君主制に好意を持つのだろうか。この問に対する最も単純な答えは、前にも記したようにその合理性乃至は非合理性に人々が未だ気付いていないか気付く能力に欠けているというものである。もちろん、そういう場合もあるかも知れない。しかし、今日君主制が採られ、それが国民の大多数によって支持されている国々の多くが、国民の教育水準の比較的高い成熟した民主主義国家という点だけからでも、これが唯一の理由でも主要な理由でもないことが推察されるであろう。従って、我々はあの合理性なるものを再検討してみる必要があるのだ。さて、既に検討してきた君主制についての議論は、人々と君主の関係を考察の対象として、君主が人々を統治する或はその上に立つことにどういう根拠があるのか或は無いのか、亦、その様な人々と君主との関係が如何に人々の福利という点に叶っているのか或は叶わないのかを論じたものであった。ところで、本論で問題としているのは、一般の人々に君主制が好感を持って受け容れられている理由の解明である。つまり、政治的・社会学的な議論としての君主制についての論が、互いに外在するものとしての人々と君主とを扱い、両者の関係を見定めようとするのに対し、ここでは人々が君主を想起する場合、想起者個々人の心の内部でどの様なドラマが生じているかが問題なのである。 互いに外在する人々と君主の関係と、人々個々が君主を想起する時の心の在り様とは、関数的な関係を結ぶものだろうか。一般的にはそうだと言っていいだろう。環境の変化に対し、心が関数的対応を怠るならば、その心の宿る生命体は生活への一貫性を見失い、生命活動さえ危機に陥る場合があるからだ。だから、人々は慈悲深い君主を歓迎し、利己的な君主を嫌い、君主制が自己の福利の安定的提供に効率的でないと知ったら、その制度を排除しようとし始めるはずである。この様な前提に立ち、前節に見たような君主制否定論の明晰を考慮するなら、もはや人々が君主を愛する理由は、無知以外には存在しないことになる。 しかし、次の点に留意する必要があるだろう。人々が君主を愛するといった場合、それは人々の個々の自我が彼を愛しているのであって、人々と呼ばれる共同体が愛しているのでも、物理的な存在としての個人が愛しているのでもないという点である。そして自我は、その自我が所属している物理的存在としての自己の領域を拡張することが出来るのだ。そうでなくてどうして、人間は恋人を愛したり泥棒を恐れたりすることが出来るだろう。 君主に対する臣下の在り様を捉えた観念の一つに「忠義」がある。もちろん、臣下と先に定義した「一般の人々」とは同じものではない。臣下とは、君主から何らかの経済的供与を受ける者なのだから(注36)。従って、忠義の本質的且つ原初的な動機は、所与の利益に対する対価の支払い、即ち報恩であったと考えてよい。しかし、一度生まれた忠義の観念は、その最初の意味を超えて次々と新たな意味を獲得する。そしてこの時、「臣下」は「一般の人々」と同じく、利益享受の期待を持たないままに君主を愛してしまうという局面が生まれるのである。 有大忠者、有次忠者、有下忠者、有国賊者、以道覆君而化之、是謂大忠也、以徳調君而輔之、是謂次忠也、以諌非而怨之、是謂下忠也、不恤乎公道之達義、偸合苟同以持禄養者、是謂国賊也、(注37)忠義はここでは、例えば道理を以て君主を教化する作業と理解されている。君主の現在の意志に逆らうことになろうとも、そうすることが忠義なのである。こうした考え方が成立する背景には、固有の君主の人間的意志とは無縁に、君主の理想像といったものが成立していたという事情がある。この場合には、言うまでもなく儒教的な為政者の理想像が当為として想起されているのである。既にして、忠義とは個人と個人との関係に於ける報恩ではなくなっている。それは極めて公共的な作業なのだ。従って、忠義はその実行局面に於て実行者の自制を要求することになる。忠義の為に自我を疎外状態に置く自制ではなく、自己の忠義の内容を絶えず反省するという自制である。 忠節といふ事、人毎にいふ事なれ共、忠之儀委しく知りて行ふ者稀也、忠は己を尽すを忠といふ、是れ迄も皆知れり、然共己が不足を覚るより忠生る事を知らず、此の故に謙を体に不為故に、其の忠皆慢心となり、還而忠を成す心を尽したる其の忠無に為す事、歎ケ敷事也、(注38)個人の利益に関わるものから公共の福利に関わるものへと、忠義の内実は変化して行く。もちろん、変化は必ずしも通時的なものではないであろう。しかし、どの観念が最初に生まれたか等ということは、差し当たっての問題ではない。君主と臣下、或は人々とがどの様な関係を取り結ぶかということこそが問題なのだ。そして忠義はもう一つの内実を、如何なる具体的な利益とも無縁であるような内実を持つものとして構想されたことがあったのである。 山鹿素行は忠義について次のように論じている。 「忠」なる者は、人の為に謀りて身に私あらざる也。「信」なる者は、愨実にして欺かざる也。忠は私せず、信は欺かず。忠は心上に就いて説き、信は事上に就いて説く。忠は以て君長に事へ、信は以て朋友に交る。(注39)亦、 案ずるに、忠は程伯子曰、発己自尽為忠、程叔子曰、尽己之謂忠、朱子曰、己尽之心而無隠、所謂忠也、北渓陳氏曰、諸家説忠、都只以事君不欺而言、夫忠固能不欺、而以不欺名忠、則不可、直至程子曰、尽己之謂忠、方説得確定、尽己是尽自家、(注40)山鹿素行は、寛文六年、『聖教要録』が幕府の忌避に触れ赤穂に流される。素行の教えは、赤穂義士討入のイデオロギー的背景を提供したとも想像されるが、彼の忠義論の特徴は、「忠は心上に就いて説き」亦、「尽己是尽自家」という言い方の内にある。ここでは忠義が、他者(君主)に対する自己(臣下)の在り様を示す概念ではなく、自己自身の精神の問題としてのみ捉えられているのである。この時、忠義の対象としての君主はどこに居るのだろうか。忠義が君主に対する臣下の在り様を指し示す言葉である以上、君主不在の忠義は存在し得ない。しかし、ここで忠義とは自己の自己に対する関係としてのみ在るのである。ならば、君主は臣下の精神に内在する他ない。臣下の自我が、現象としての臣下自身を超えて拡張し、君主を内包し得るものとして初めて、右のような主張は可能となるのだ。 『葉隠』(注41)は、臣下が君主の決定を変更させた奇妙なエピソードを記している。 中野数馬年寄の時分、羽室清左衛門、大隅五太夫、江副甚兵衛、石井源左衛門、石井八郎左衛門御意を相背き候に付、切腹と仰せ出され候。その時綱茂公の御前へ数馬罷り出で、「右の者共は御助けなされ候様に。」と申し上げ候。公聞し召され御立腹なされ、「僉議相極め切腹申し付け候に、助くべき道理これあつて申す儀に候や。」と御意なされ候。数馬これを承り、「道理は御座なく候。」と申し上げ候。道理これなき処に助け候様にと申す儀不届の由、御呵りなされ、引き取り、又罷り出で、「右の者共は何卒御助けなされ候様に。」と申し上げ候に付、最前の如く又々御呵りなされ候に付、引き取り、又罷り出で、斯くの如く七度まで同じ事を申し上げ候。公聞し召され、道理はこれなき処、七度迄申す事に候間、助くる時節にてあるべし。」と忽ち思召し直され、御助けなされ候。斯様の事共数多これあり候なり。「僉議相極め」た罪人に対し、「道理」なく赦免を願い出、その無理を通してしまうのである。もちろん、これは悪臣のエピソードではない。筆者はここに君臣関係の理想を見ているのだ。しかし、なぜこれが理想なのだろうか。『葉隠』の別の個所には、次のような一節もある。 本気にては大業はならず。気違ひになりて死狂ひするまでなり。又武道に於て分別出来れば、はやおくるゝなり。忠も孝も入らず、武士道に於ては、死狂ひなり。この内に忠孝はおのづから篭るべし。この場合、「本気」とは分別のつく状態、即ち外界と自身との関係、外界の諸事象相互の関係を客観的に判断出来る状態と考えてよい。すると「気違ひ」或は「狂ひ」とは、その判断が出来ない、言い替えれば、世界の外部に視点を置いて世界を対象的に認識出来ない状態のことであろう。この時に、「忠孝はおのづから篭る」と言うのである。これは山鹿素行の議論と軌を一にするものである。両者は共に、臣下の自我が内包する世界だけを見ているのだ。そして、こうした世界了解の方法を当為として初めて、先の臣下が無理を通したエピソードは美談となるのである。なぜなら、中野数馬は、道理を無視して主張することによって、彼が世界を対象的に了解していないこと、自身の主君を自我の内に包み込んでいることを、この上もなく明快に示したからである。 精神のドラマの中で、君主は自己の外部に在って自己を支配するもの、或は少なくとも自己が世界の主人公であることを主張したい時に直ちに異議申し立てをするものから、自己の内部に在るもの、その内包を通して自己が自己の自由と偉大を感じとれるものへと変貌する(注42)。この様な変貌の達成をこそ、山鹿素行や山本常朝等は忠義と呼んだのだ。この時、忠義は、強いられた抑制ではなく、選び採られた解放であり、それは道徳の姿をした本能とさえ言い得るであろう。しかも、ここには決して利益享受の期待が介入する余地がない。君主は既に自己の外部から自己に働きかけるものではないのだから。 重要なことは、ここで忠義の実現という形で生じた心的現象は、忠義という思想を把持する或る特別な階層だけに可能なものではないという点である。自己の肉体を超えて自我を拡張させ得るものなら誰でも、つまり人間になら誰にでも、それは可能なのである。そして人々は、君主を想起する場合、しばしばこの可能を実現しているのだ。 『鷺』という謡曲がある。神泉苑に行幸した帝が、洲崎に遊ぶ鷺を捕らえよと命じる。蔵人が捕らえようとするが、なかなか捕らえられない。そこで蔵人は、鷺に向かい「汝よ聞け勅諚ぞや。勅諚ぞ。」と呼びかけた。すると、「此鷺立ち帰つて。本の方に飛び下り。羽を垂れ地に伏」して恭順の意を示したので、帝は鷺に五位の位を授ける、という内容のものである。五位鷺の名称の由来に関わる、醍醐天皇の神泉苑行幸の故事(注43)を作品化したものであるが、ここには「帝」の理想像として、相反するとも言うべき二つの局面が提出されている。第一は、「それ明君の御代のしるし。万機の政すなほにして。」或は「げにや仏法王法の。かしこき時の例とて。」といった詞章に示されるような、為政者としての能力の高さ、或は慈悲深さを示す局面。もう一つは、「かれは鳥類飛行の翅」即ち自由な生き物である鷺の捕獲を命じる恣意性と、その恣意が「王威」によってたちまちに実現されてしまうことに象徴されるような、絶対的な専制君主としての局面とである。前者については、当然それは賞賛の対象となるであろう。ところで、後者について、自らが帝でない人々にとって、こうした内容を含む物語に触れることが快いとすれば、理由は人々個々が帝を包含しているからという以外にない。そうであって初めて人々は、帝の恣意とその易々たる実現を自らの自在として感じることが出来るのだから。 |
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