序・目次へ  二章、君主制を愛する人々  四章、君主を内包する自我ー君主制の社会的評価を越えて

三章、概観・君主制擁護論と否定論

 君主制への人々の好尚は事実であるにしても、では、好尚の理由はどの様に説明されるのだろうか。
 君主制の正当性、或は必要性は古来様々に語られて来た。しかし、その思想は殆どの場合、君主制を否定する論理によって撃ち破られて来たのである。その論理的打破は極めて明晰で、反撃の余地が全く無いようにさえ見える。その結果、好尚それ自体が、慣習に根ざす誤った観念や無知に由来するものと見做されるような状況さえ生じているのだ。だが、必ずしも意識的ではないかも知れないが君主制の支持者である人々は、本当に無知なのだろうか。明晰に過ぎる否定の論理を、知らず、或は知ったとしても理解することが不可能な程に反動的な支配に飼い慣らされた哀れな者達なのだろうか。それとも、支持の思想も否定の論理も共に覆い尽くし得ていない、君主とそれを愛する人々に関わる或る領域が存在するのだろうか。

 ここでは先ず、君主制を正当化しようとした思想とその思想を破綻させた論理とを概観し、次章で両者の考え方に共に欠落しているものが何であるかを考察したいと思う。
 君主制を正当化する思想として、最もよく知られたものは「王権神授説」と呼ばれているものであろう。君主の統治の権能が神から由来したとする思想であり、絶対君主制の理論的支柱となったものである。その代表的なものは、ロバート・フィルマーの「族父論」であろう。「族父論」についてはジョン・ロック『市民政府論』の岩波文庫版「解説」に要約されているので、それを引用する。
フィルマーの議論の出発点は、「人間は、生れながらに自由ではない」というにあり、その根拠として、「人間は、生れながらにして、その両親に服従する」から、ということをあげる。この親の権利を辿ってゆくと、神がはじめて創造した人間であるアダムに達する。神は、アダムに、その子孫を支配する絶対権力を与えた。このアダムに与えられた権力を、やがて族父達が、そうして国王が承けついで来たものであり、これによって今日の君主は、絶対権を有する(注26
 西欧のキリスト教国に於て、こうした議論への反論は、神の権威を否定することからではなく、『聖書』の解釈の内に反論の根拠を見出だすという方法で展開される。例えばジョン・ロックは『市民政府論』(注27)で、
 第一に、アダムは、父としての自然の権利によっても、あるいはまた神から積極的に与えられるということによっても、論者の主張するようなその子供達に対する権威とか、あるいは世界に対する支配権とかいうようなものを有してはいなかったこと、
 以下、アダムがその様な支配権を持っていたと仮定しても、その相続人は権利を継承する資格を持たず、仮に資格があったにしても誰が相続人かを決定する「自然法も神の定めた実定法も存在しない」、亦、そうした決定が為されたにしても「アダムの後裔の中で、長子系に属するのが何人であるかは、もう長い間全然不明」となっていることを述べた上で、
いま地上にある諸々の支配者たちが、すべての権力の源泉だというアダムの個人的支配権および父としての権限という観念をいくらかでも利用し、あるいはそこにいささかなりとも拠るべき権威を見出す、ということは不可能である。
と結論している(注28)。亦、父権による支配についても、父権、或は親権と呼ばれるものは「子供たちが理性を用いるようになり、規則についての知識をもつ状態になるまで、子供たちの利益のために、彼らを支配する権力」であって、「父権的支配は、自然の支配であることはほんとうであるが、政治的なものの目的や権限にまで及ぶということは決してない。父親の権力は、子供の所有権まで及ぶことは全くない。」と述べている(注29)。
 「族父論」に対するロックの反論の特徴は、それぞれ単独で十分な反証となり得るものを並立的に多数提示している点にある。それは、反論の正当性を強調すると共に、反論に関わる論者の情熱の深さを示すものでもあろう。
 ちなみに、『聖書』を大きな拠り所として君主制に反対するという方法は、トーマス・ペインも『コモン・センス』(注30)で用いている。『コモン・センス』の君主制否定論は、現代では常識と言っていい個人主義的立場に沿った自然法思想に基づいて展開されるが、『聖書』解釈はその論理展開に光背効果を与えているように見える。
 一人の人間を他の人間よりも非常に高い地位におくことは、自然の平等権からして是認されないが、聖書の権威からしても弁護することはできない。なぜならギデオンや預言者サムエルがはっきりと言っているように、全能の神の意思は明らかに王による統治を否認しているからだ。聖書の中で王政に反対している個所はすべて、王制をしいている国々で非常に巧妙にごまかされてきた(注31)。
 ロックやペインが聖書の権威をも動員して主張しようとした事柄は、今日では自立的に人々を納得させ得ている。そして、キリスト教徒でないならば、或はキリスト教に類似の世界解釈の方法を持った宗教の信徒でないならば、「神」の非承認という点だけから王権神授説を拒否することが可能であろう。
    ここまで、西欧の君主制擁護論→同否定論へと展開する歴史

 さて、王権神授説に極めて似た構造を持つ君主制の擁護論が我国に存在している。記紀神話を根拠として、天皇に日本の君主としての正当性を与えようという議論がそれである。既に、『古事記』上つ巻に天武帝の詔として、
朕聞かくは、諸家の賷たる帝紀と本辞と既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふといへり。今の時に当りて、その失を改めずは、いまだ幾年を経ずして、その旨滅びなむとす。こはすなはち邦家の経緯、王化の鴻基なり。故ここに帝紀を撰禄し、旧辞を討覈して、偽を削り実を定め、後葉に流へむと欲ふ
とあるように、記紀神話の編纂それ自体がこうした意図を持つものであったのだが、この系統の論は、文永・弘安の役を契機とする神国思想の中でその中世的な形を整え、やがて伊勢神道の強い影響の下に『神皇正統記』を生み出す。『神皇正統記』は「大日本者神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝給ふ。我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神国といふなり。」と書き起こされ、「我朝の初は天神の種をうけて世界を建立するすがたは、天竺の説に似たる方もあるにや。されど是は天祖より以来継体たがはずして、たゞ一種ましますこと天竺にも其類なし。」亦、「唯我国のみ天地ひらけし初より今の世の今日に至まで、日嗣ぎをうけ給ことよこしまならず。一種姓の中にをきてもをのづから傍より伝給しすら猶正にかへる道ありてぞたもちまし/\ける。是併神明の御誓あらたにして余国にことなるべきいはれなり。」と、幾度も「日神」の後裔たる天皇が日本の正当の主権者であり、それ故に日本が他の諸国に優越するとの主張を繰り返す。『神皇正統記』の執筆された直接の目的が政治的、或は経済的なものであった(注32)としても、生まれ出た思想は誕生の経緯を離れて自らの歩みを始める。思想は例えば江戸の国学者達を動かしたのであった。本居宣長は『直毘霊』(注33)で、
皇大御国は、掛まくも可畏き神御祖天照大御神の、御生坐る大御国にして、大御神、大御手に天つ璽を捧持して、万千秋の長秋に、吾御子のしろしめさむ国なりと、ことよさし賜へりしまに/\、天雲のむかぶすかぎり、谷蟆のさわたるきはみ、皇御孫命の大御食国とさだまりて、天下にはあらぶる神もなく、まつろはぬ人もなく、千万御世の御末の御代まで、天皇命はしも、大御神の御子とまし/\て、天つ神の御心を大御心として、神代も今もへだてなく、神ながら安国と、平けく所知看しける大御国
と述べ、亦、同書の他の個所の自注では、
異国は、本より主の定まれるがなければ、たゞ人もたちまち王になり、王もたちまちたゞ人にもなり、亡びうせもする、古へよりの風俗なり。さて国を取らむと謀りて、えとらざる者をば、賊といひて賎しめにくみ、取り得たる者をば、聖人といひて尊み仰ぐめり、さればいはゆる聖人も、たゞ賊の為とげたる者にぞ有りける。
掛まくも可畏きや吾天皇尊はしも、然るいやしき国々の王どもと、等なみには、坐まさず。
と述べている。
 ところで、右に述べたような思想も王権神授説と同じく、神話に対する非承認に会っては、その力が失われることは言うまでもない。
 同様の弱点は易姓革命説にも認められる。易姓革命説は、王権の行方を君主の統治能力に関連付けて説明する点で、近代的な政治概念に通じるものを含んでいるが、その統治能力の判定と統治権の移動に関して「天」という信仰的虚構を措定するのである。
    ここから、社会契約説→民主主義の優越性
 宗教的説明によらず、君主制の正当性を説明するものに、グロティウスやホッブスの唱えた社会契約説(国家主権説)がある。彼等は、個人の自然権を認めた上で、自然権の合理的な実現の為には、それが唯一の絶対主権に委託される必要があると考えたのである。彼等が君主制、殊に絶対王政の擁護者たる所以は、一度自然権の委託が行なわれた場合、委託者(人民)に委託対象(君主)を変更したり委託を取り消したりする自由を認めなかったからである。この種の社会契約説に対して、スピノザやジョン・ロックは委託者による委託対象の変更の自由を認めた「契約」の方がより合理的であると主張する。
国家は必然的に次のように、すなわち治者ならびに被治者がみな、欲すると欲せざるとにかかわらず、公共の福利の要求するところをなすように組織されねばならぬ。(略)このことは、公共の福利に関することを一人の人間の信義に全部任せきらないように国事を配慮する時に達せられる。なぜなら、人間たる以上は、絶えず気をつけるといっても時には眠らないわけにいかず、また古来どんなに強い、どんなにしっかりした精神を持っていた人間でも時にーーことに最も精神の力を要する時にーーくずおれたり敗北したりしないわけにはいかなかったからである(注34)。
 亦、
各個人が社会を取り結んだ時、これに与えた権力は、社会が存続するかぎり、決して個々人に復帰することはなく、いつまでも協同体の手に残るであろう。(略)けれどももし彼等が、この立法府の存続期間に限度を設け、個人もしくは会議体のもっているこの最高権を一時的に過ぎないものとしたとすれば、もしくは、権威の地位にあるものの失敗でそれが没収された場合には、その没収なり、定められた期限の到来によって、それは社会の手に戻り、人民は最高のものとして行為する権利をもち、立法権を自分たちのうちに継続させるか、あるいは、そのよいと信ずるところにしたがって、新しい形態を定めるなり、古い形態のままでこれを新しいものの手に与えるなりするのである(注35)。
 これは殆ど議会制民主主義を語っているに等しい。
 君主制を正当化する思想は、こうして次々と破綻させられてきた。もちろん、この間に君主制自体もその姿を変えてきたのである。それでも君主制は現実に於ても、物語の中でも、人々が環境の混乱に忙殺されない程度の余裕がある状態(物語を楽しみ得る状態とは、正にそうした状態なのだが)にいる限り、支持されてきたのであった。今日では、「君臨すれども統治せず」の君主制について、それが親善外交に必要であるといった意見さえ聞かれる。もはやこれは、思想ですらないであろう。こうした素朴且つ強引な君主制必要論は、論者の君主制の下に生きたいという(十分な説明が出来ていない)意志を示す以外の何ものでもないように思われる。
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