| 序・目次 へ 二章、 君主制を愛する人々 へ |
一章、「君主」及び「一般の人々」の定義について君主を定義付けることの困難は、「君主」が語られる場合、その属性として考えられる性格の多様性に起因する。しかも、この多様性は、複数の局面に亙って出現しているのだ。第一は、政治的権能に関する多様性である。先ず、国家の唯一の主権者である君主がいる。古代エジプトのファラオや中国の天子、亦、中世ヨーロッパの封建領主やその後に出現する絶対君主がこれに当たる。彼等は、神そのもの、神の子孫、神から統治権を委託された者等と見做されたり、又、宗教的説明を用いない場合にも、領民を含めた国家全体の所有者と見做されたりした。家産国家思想は、その様な究極の所有者としての君主像を描き出している。 次に、国民の主権を委託されたものとしての君主がいる。社会契約説の考えに立ち、人民の契約対象として想定された君主がそれで、例えばトマス・ホッブスは専制君主の起源をこの仮定的な契約に求めている。興味深いのは、中世日本の尊皇思想家もこうした説を知っていたということである。『仏祖統記』等に拠ったと想像されるが、北畠親房は『神皇正統記』(注2)の序論で「天竺」に王制の誕生した過程を次のように記している。 此稲米ヲ食セシニヨリテ、身ニ残穢イデキヌ(略)其後秔稲生ゼズ。衆生ウレヘナゲキテ、各境ヲワカチ、田種を施シウヘテ食トス。他人ノ田種ヲサヘウバヒヌスム者出来テ互ニウチアラソフ。是ヲ決スル人ナカリシカバ、衆共ニハカラヒテ一人ノ平等王ヲ立、名テ刹帝利ト云。其始ノ王ヲ民主王ト号シキ。(略)民主ノ子孫相続シテ久ク君タリシガ、漸正法モ衰シヨリ寿命モ減ジテ八万四千歳ニイタル。へのリンク 『神皇正統記』の国家観は後に検討することになるが、ここに現われる「平等王」は、正にホッブスの言う「万人の万人に対する闘争」を調和的状態に導くことを期待された王である。 君主の更に一つの在り様は、国民と主権を分け合いながら、その権能が他の国民に対して優越するというものであろう。国家有機体説に基づく君主の在り様は、しばしばその様なものとして描かれる。美濃部達吉の「天皇機関説」は、天皇にこうした君主の性格を与えたものと考えてよい。 そしてもう一つ、主権を有せず、主権を保有するものを代表的に表わすものとしての君主がある。国家の象徴であり、「君臨すれども統治せず」の君主である。E・O・ライシャワーは、北欧の成熟した民主主義国に於ける君主を天皇と共にこの例として数えている(注3)。 さて、君主の性格の多様性が認められる第二の局面は、彼を君主とする社会組織が何かという点である。もちろん、独立した主権国家というのがその一般的な姿であるが、それが唯一の組織ではない。 国家として国際的に認知されていない社会組織が王を戴いている例がある。例えば、北部ラオスの山岳地帯に住む少数民族のヤオ族は、ラオスから中国南部にかけての海抜一千メートル以上の高地にヤオ族の王国の存在を主張しているが、その王は雲南省の九江の辺に住むとのことである(注4)。 亦、独立を失った国家・地域に於て、従来からの君主が、その権威を保ち続けている場合もある。フランスは十九世紀を通じて次第にベトナムの植民地化を進め、十九世紀末には阮朝の領域を安南のみに制限し且つ保護国化するが、しかし、その間阮朝皇帝は皇位を保ち続け、ベトナム人の政治的中枢としての役割を果たす。例えば、昭和二十年三月のフランス植民当局及び駐屯軍に対する日本軍の攻撃(明号作戦)は、ベトナム人の独立運動を支援するという名目で行なわれたものであるが、それは具体的には安南・トンキン両地方にまたがる十二代バオダイ帝の統治権の回復を目指していたのである(注5)。尚、バオダイ帝は後に、一九五五年の国民投票でゴ・ディンディエムに敗れるまでベトナム共和国の国家主席を務める。彼が民主政府の国家主席となった理由が、かつて君主であったことと全く別の所に求められると考えるのは、空想的に過ぎるであろう。ちなみに、ベトナム皇帝とベトナム独立運動との関係は、久生十蘭が『魔都』の素材としたものである。 更に、君主を示す言葉は君主、王、皇帝等様々であるが、彼が代表する社会組織によって呼称が使い分けられる場合がある。例えば、広大な植民地を保有し複数の民族を支配した英国の君主は、民族国家としての本国を代表する場合には王を称し、植民地に対しては帝号を用いた場合があった。「the King of England」 は英国王のことであるが、「King Emperor」となれば、インドを含む大英帝国の皇帝を示す。 君主とは、この様に複数の局面に亙って多様な性格をもって存在しているが、にも拘らず、我々が「君主」という言葉に、或は君主の類義語に、漠然とではあるが或る統一的なイメージを抱き得ることも確かであろう。それは、右に挙げた諸属性のどれでもない、即ちあらゆる君主に共通的に認められる属性と、右に概観した君主の多様性から帰納される結果との総合であると見てほぼ間違いはない。 さて、右に君主の諸属性を挙げた時、全く触れられなかった君主の属性がある。つまり全ての君主に共通している属性ということになるのだが、それは世襲という点である。もちろん、選挙君主制は歴史的に幅広く存在した。例えば、神聖ローマ帝国に於ては叙任権闘争の中で王権が弱体化し「ザクセン朝、ザリエル朝二代の王朝が営々として築き上げてきた世襲王朝の原理は後退し、代わって、諸侯による選挙王制の原理が強く表面に押し出されてきた」(注6)。亦、現代のマレーシア連邦は九イスラム土侯の互選により元首を選出する立憲君主国である。しかし、選挙君主制と雖も被選挙人は特定の血統の者に限られるのであり、世襲制の一形式と見做すことが出来る。 次に、君主の多様な属性から帰納される結果はどの様なものだろうか。政治的権能に関して、帰納的操作が有効性を持ち得ないのはもちろんである。君主と呼ばれる存在の権能は余りにも多種多様だからだ。しかし確かなことは、君主は、彼を君主と見做す社会に於て中心的存在、或は最も尊重されるべき存在と考えられている、或はそう考えられるものとして期待されているという点であろう。唯一の主権者であるにせよ、象徴であるにせよ、国家の一機関であるにせよ、そうである。世間には、君主を中心とは見做さない、或は敬意を捧げるに値しないとする者達もいる。しかし、こうした者達は、君主について「中心でない」とか「尊重されない」といった属性を認めているのではなく、君主制の拒否者なのだ。ところで、君主は何の中心なのだろうか。君主を戴く社会組織が必ずしも独立の主権国家だけでないことは、既に見た通りである。しかし、何であれ社会組織なら、そこに君主を配置し得るかと言えば、そうではない。例えば「会社の君主」という観念は成立しない。一方、氏族共同体に於ては氏族長が君主であり、国家が世界そのものと考えられていた社会では君主は実存神とされた場合があったのである(注7)。先述したように、植民地化された国家に於ても、植民地の原住民が自己の所属するものとしてそれ以上のものを想像し得なければ、或は植民地化の政治的意味を十分に把握し得ない場合には、君主は従来通りの権威を保ち続けることになろう。要するに、君主を戴く人間にとって、君主とはその人間が所属を実感出来る最も上位の組織の中心であるべきなのだ。 従って、君主を次のように定義付けることが可能なのではあるまいか。その存在が組織として至高のものである、或は少なくともそれに優越する組織は存在しない、と或る者達によって考えられている社会組織に於て、彼等にとってその社会組織の中心と認められる世襲の人格的存在があれば、それが君主であると。 以上、君主の定義 次に、「一般の人々」という言い方が指し示すものを定義付けておく必要がある。ところで、ここで問題となっているのは、「一般の人々が君主制に好感を持っているという判断」の正当性であった。つまり、この判断の正当性は十分に自明なものではないということになる。従って、「一般の人々」とは、この判断の正当性を自明ならしめないような存在、と考えることが出来るであろう。ならば、「一般の人々」に明らかな属性は、「君主制によって直接に具体的な利益を得ることが期待出来ない」という点である。我々は「一般の人々」という場合、漠然と、貴族や高級官僚などでない人間のことを思い浮かべるが、君主制の下に於ては右のような特権層がしばしば君主によって経済的利益を分配せられ、亦、君主の権威を利用して自己の野心の実現を計っていることからも、「一般の人々」を如上の属性の持ち主であると定義することの妥当性が推測されるであろう。 尚、ここに留意すべきは、直接的で具体的な利益享受の期待を持ち得ない場合にも君主制が支持されるという、その精神の運動が問題なのであって、運動の主体が問題なのではないという点である。即ち、貴族その他の特権階級も亦、利益享受の期待を離れて君主制を支持する局面があるのであり、故に以下の論述に於ては、具体的な利益享受の期待を離れての君主制の支持という原則に叶っていれば、貴族その他の特権階級と目される人々の運動も、「一般の人々」の支持に準ずるものとして、取り上げて不都合ではないのである。 |
| 序・目次 へ 二章、 君主制を愛する人々 へ |